大学では教えてくれない「読書」の重要性
今回の記事のテーマは「読書の重要性」について。
2014年と少し古いデータですが、大学生のうち4割が1カ月の読書時間が0時間だそうです。大学教授、経営者、そして私が尊敬する人たちは皆、口を揃えてこう言います。
「大学生は、本を読むべきだ。」
彼らは、なぜ読書が重要なのか、明確に示してくれません。
時折返事が来たとしても「視野が広がる」という、抽象的な答えです。
なぜ読書が重要なのか、それをできる限り具体的に読者の方々に示してみたいと思います。
「読書」には2種類存在する。
いま、単純に「読書」という言葉を使っていますが、その意味は多様です。
この記事では、2つの意味に定義しましょう。
一つは、「知識を得るために読む」
もう一つは、「楽しむために読む」
前者は、自分が今まで知らなかった知識を得る、ということです。
その知識はあなたの暮らす世界に生かされ、より良い生活を送ることができるかもしれません。
例えば、あなたがバスケットボール部に入っていたとして、よりフリースローの成功率を上げたいとします。
いま、今までフリースローばかりについて考えてきた人(=プロ選手)が「こうすれば入りやすい」という知識を、一冊の本にまとめていたとしましょう。
ここで、あなたがこの本を読んで、実際にその知識を自分のものにすることができれば、フリースローの成功率を上げることができるわけです。
知識は、より効率よく物事を進めるための道具なのであり、本はその知識を得るための手段の一つです。
後者は、知的好奇心を満たす楽しみ、そして文学という芸能としての楽しみの2つがあるかと思います。
その知識が実生活に役に立つかどうかは置いておいて、とにかく知識を身につけることそのものが、快感であるのです。
それは、目の前にステーキ肉を投げ出された犬と本質的に変わりません。
古来より、知識を得ることによって他の生物から差別化を図ってきたヒトにとっては、知識を身につけることそのものが快感なのかもしれませんね。
加えて「文学」という芸能としての楽しみ方があります。
絵本、紙芝居、詩、小説など、本の中でも「物語」と言われるものは、私たちを常日頃楽しませてくれて、大きな感動を与えてくれます。
それは、アニメを見たり、ドラマを見たり、映画を見たり、もしくはサーカスや漫才を見ている時の感動と何ら変わりありません。
「本を読む」と一概に言っても、その分け方には大きく分けて2種類、さらに細かく分ければ
「実生活に応用する知識を身につけるために読む」
「知的好奇心を満たすために読む」
「感動を得るために読む」
という3つの種類に分類できると私は考えます。
それでは、これら3つの種類の読み方に基づいた上で、次に「なぜ、本を読まなければならないのか」について掘り下げてみます。
なぜ、本を読まなければならないのか
1. 実生活に応用する知識を身につける読書
まずは、知識を実生活に活用するための読書について考えます。
例えば、大学生を例に出して考えてみるとわかりやすいでしょう。
新入生の多くは「レポートの書き方」なんて知りません。
もちろん、大学の講義の中で丁寧に書き方を教えてくれることもあるでしょう。
しかし、本を読むことでより体系的に(頭の中できちんと整理されて)理解できることもありますし、先生が教えてくれない情報もその中に含まれているかもしれません。
さらには、本を保管さえしていれば、レポートの書き方を忘れてもいつでもひっぱり出すことができます。
そして何より、レポートの書き方の本を読み、その知識を応用することで他人よりも評価の高いレポートを書き上げることができるのです。
このように、本を読む(=情報を他人よりも持つ)ということは、競争に打ち勝つという意味でも重要なのです。
ここで本をあまり読まない人は
「別にそれって、本じゃなくてもいいんじゃね?」
という考えが頭に浮かぶのではないでしょうか。
そういう考えが浮かぶのは至極当然です。
本を読むよりマンガやテレビで情報を得た方がわかりやすいですし、役に立つと思った経験も多いでしょう。
何もマンガやテレビで得た情報が悪いとは思いません。
よく大学の先生達は
「テレビや新聞に書いてある内容は薄い。はたまたネットに書いてある内容なんてもってのほかだ。さらにはバイアス(=情報の偏り)があることが多い。」
なんてよく言います。
しかし、私はこの意見には反対です。
☆の数ほどある本にも、内容が薄い本はたくさんありますし、バイアスしかないような本もあります。
要するに何が言いたいのかといえば
実生活に応用する情報の選択肢は多ければ多い方が良い。なので本からの情報も見逃すべきではない、ということです。
実際問題、4割の大学生が読書時間ゼロなわけですから、月に1冊でも読めば、彼らに情報量の多さで優位に立つことができるのです。
本を読む人が少なくなればなるほど、本を読むことで得られる優位性が高まるのです。
実生活に知識を応用させるために本を読む場合
そして「他人に打ち勝つ」ということを前提にした時
情報量の多さが勝敗を左右する要因となります。
その時に、情報の選択肢を増やすために、本は読まなければならないのです。
2.知的好奇心を満たすための読書
人は知らないことを知りたいと思う生物です。
しかし、知的好奇心を満たすから本を読まなければならない、ということに疑問を感じる人も多いのではないでしょうか。
これは、冒頭で述べた「本を読めば視野が広がる」という曖昧な表現を拡大して考えてみるとわかりやすいかもしれません。
本を読む理由の一つに
「情報量を増やし、他人を出し抜く」ことがあるのは既に言いました。
しかし、自分が好きな本だけを読んでいても、視野は狭くなっていきます。
一見、役に立たないけれど、面白そう、と思って読んだ本から得た知識が、将来役に立つ可能性を否定することはできません。
3.感動を得るための読書
本を読まない人にとって、読書がアニメ鑑賞やサーカスを見ることと似ている、というのは理解しがたいかもしれません。
しかし、アニメが声優さんや映像の技術を使って人を楽しませ、サーカスが人間ブランコで人を楽しませるのと同じように、本も本でしかできない方法で私たちを楽しませてくれます。
例えば、小説などでは私たちは登場人物を推測することによって読み進めていきますが、それはドラマやアニメでは不可能な演出です。
推理小説などでは「叙述トリック」なんていう本独自の手法がありますよね。
感動を得るために読むということは
「本でしか得られない感動を得る」ということでもあります。
4.他人とのコミュニケーションを円滑にするための読書
「他人を出し抜く」ためだけでなく、読書は「他人と仲良く」なるためにも重要です。とある本から内容を引用してきます。
教養の持つ大切な機能の一つが、「自分と違う世界に生きている人と会話できるようになること。」だ。
あらゆる教養は、それを専門とする人との会話の「糸口」となる。ちょっとした「小ネタ」を知っていることで、コミュニケーションが深まり、相手から信頼を得られるということは珍しくない。
教養は、知識を身につけることによって身に付きます。本を読むことは教養を身につけることでもあります。そして、教養のある人と話せば、話がどんどん膨らみ、会話が途切れず、非常にコミュニケーションが円滑になります。
バイト先やサークルで同じ本を読んでいる人と出会ったとき、とても嬉しいですし、その本の内容についてとても話が盛り上がります。
5.時間・お金を短縮するための読書
「教養を身につけるならば、講義を受ければいい。」
「知識を身につけるならば、現場の人から直接聞いた方がいい。」
本を読まない人の意見として、これらの意見がよく挙がります。
確かに、人に教えてもらった知識の方が定着率は高いでしょうし、現場の人の意見の方がより実践的な内容でしょう。
しかし、大学受験を経験してきた人はこんな気持ちになったことはありませんか。
「わざわざ授業を受けるよりも、参考書を読んだ方が早いんだよなぁ・・・」
たとえば、河合塾で1つの講義を受けようとすれば、年間数万円かかります。
しかし、その講義と全く同じ内容が書かれた本は1冊1500円です。
さらには、その講義は半年間を通じて行われます。
対して、本は3日あれば読破できますし、しかも何度も読み返せます。
このように、本を読むことでお金と時間という非常に大切なコストを削減することができるのです。
まとめ
これまでの内容をまとめて終わりにしたいと思います。
なんで、本を読まなきゃいけないの?
・本から得られる情報が、あなたの生活をより良くするから。
→他人を出し抜き、優位に立つには、本は必須。
・あなたの知的好奇心を満たすから。
→あらゆる知識はいつあなたを助けるかわからない。
・感動するから。
→アニメや映画を見るのと同じ感覚。
・仲良い人が増えるから。
→コミュニケーションを円滑にする役割。
・お金、時間の節約になるから。
→ただし、「読み方」を知っている人限定
そういえばタイトルに「大学生」って入ってました。
簡単に想像すれば
・読書する時間があるから
・キャリアデザイン(将来設計)に必須だから
といったところでしょうか。
最近になって(大学3年生)ようやく、少しずつ本を読み始めた自分。
もっと早くに本を読むことができていればなぁと思う限りです。
もちろん、これからもたくさんの本を読んでいくつもりです。
そして、オススメの本があればぜひ私に紹介してください。
それでは長い記事をご覧いただきありがとうございました。